【外伝・序章】
事実と護るべきもの
<PRELUDE>
※これは、オープニングハンドアウトを基にして、
「神代 微」PL:和泉水流さんが作成されたものです。
11月。通常なら冬型気圧配置の日が多くなり、必然的に晴れの日が多くなるものであるが、この日の横須賀は薄曇りの肌寒い日であった。 だが、天候がどうあれ人それぞれの生活にそれほどの変化があるわけではない。現にその日も逢守神社奥では剣戟の音が響き渡っている。 「はっ!」 「……っ!」 相手が右手で切り上げてくるのを「風花」で受け止め、左手の横薙ぎを身を捻ってかわす。言葉にすると簡単ではあるが相手がそれなりの力量を持つとなると必ずしも楽ではない。実際、和輝は、この直後の反撃よりも先に、一度飛び下がって体勢を立て直さざるを得なかった。 一方の微も間髪をいれず追撃、と言うわけに行かなかったのは飛び退った和輝に隙がなかったからである。 一撃の破壊力に欠ける小太刀であれば連撃こそ必須なのだが、それをさせてもらえるほど簡単な相手ではない。もっとも、簡単な相手では剣の修練にはならないであろう。 先ほどまで順番に両方の相手をしていた明雷から見ると、連戦になっている和輝の体力も、あの動きにくい服であれだけの動きを見せる微にも関心してしまう。ちなみに、誤解している人物も多いが、巫女の緋袴は神職や武道のものと違ってスカートタイプで股の部分が割れたりしていない。 「!」 裂帛の気合がどちらのものであったのかは判断しがたい。微が飛ぶように数メートルの距離を縮めるのと、後の先を取る構えを見せていた和輝が剣を振り下ろすのもほとんど同時。最後の踏み込みの音だけがわずかにずれていた。 「……まいりました」 「いや、お見事です」 二人の剣は相手の体からわずかに離れた所で止まっている。微の右手に握られた「当麻」は和輝の胸元寸前、和輝の「風花」は微の肩上。ただ、先に微が敗北を認めたのはその距離の問題であったろう。小太刀の長さでは後一歩は踏み込まなければ痛撃とはなりえない距離であったのだ。距離をとって汗をぬぐった微が明雷に微笑みかけた。 「次は明雷さんに踏み込みのコツを教えていただかないといけませんね」 「ほのかおねぇちゃん、十分うまいと思うけどなぁ」 明雷が言う事も事実である。微の動きは剣術と言うより武術に近い。武術家の明雷は漠然とそう感じているだけであったが、あらゆる剣技の知識を叩き込まれている和輝には、むしろ忍術の動きに近い、と言うことが分かっている。特に口に出す必要も認めないので黙っていたが。 「お願いできますか?」 「うん、いいよぉ」 のほほん、とした雰囲気で返事をして明雷は立ち上がった。年齢相応の態度ではあるが、明雷の武術の力量は明らかに年齢を二回りは上回っている。人は見かけによらない、をもっとも地でいく人物の一人であろう。 先ほどまで明雷のいた所に和輝が移動し、明雷と微が距離をとって構えた、その時。 「姉さん、少しよろしいですか?」 すまなさそうな表情で声をかけたのは微の妹、京香である。どちらかと言うと体を動かすのは苦手らしく、個人の用で練武場に来る子ではない。それが分かっているだけに微は構えを解いた。 「どうしたの?」 「お父様がお呼びです」 京香の予想通りの返答に頷き、明雷と和輝にすまなさそうに頭を下げる。 「……すみません、少し失礼します」 「いいよいいよ、気にしなくても」 「ええ、お構いなく」 明雷と和輝も聞こえていたので反対する理由はない。というより、すまなさそうにされても困るのである。このあたり、微の真面目さはいささか度を越していると言えるだろう。 「京香、お二人にお茶をお出ししてくれる?」 「はい」 そう言って二人にもう一度頭を下げ、微はその場を退き、すぐに奥へと向かった。神前であると言う事を考慮しても、ぴんとした空気が張り詰めているのは、急な用件=エミュレイター問題である事が多いからである。 「微、参りました」 義父の慎は軽く頷くと微を手招いた。微も一礼して前に進む。堅苦しいと言えば堅苦しいが、家の中でここまで礼儀を保っているのは今どき珍しい親子関係かもしれない。 「世界結界の重大な危機だ」 慎はいきなり本題に入った。元々遠回しな表現をする人物ではないが、それにしても今回は前置きがない。 (よほどの事、のようですね……) 内心でそう当たりを付けた微の予想を超えるように慎は言葉を続ける。 「御門家からエージェントが来る。お前にはその護衛をやってもらう」 「……神代家単独では手に負えない問題、と言う事ですか?」 「起きる事件の規模はまだわからん。しかし、内容は御門家だけの手に負えなくなる問題……世界結界規模の問題だ」 最初の発言が比喩表現ではない事に気付き、微の表情が一気に鋭くなる。慎のほうは全く態度が変わらない……ある意味では当然であったろうが。 「その件で、お前に話しておく事がある」 「はい」 「16年前、何があったか、についてだ」 ぐらり、と微の上半身が揺れた。16年前、つまり『第七艦隊』の事は決して詳しい訳ではないが、その関連の事件だと言うのであれば掛け値なしに世界の危機である。そして、微の予想を遥かに超える「真実」が慎の口から語られ出した。 着メロとかには縁のない、デフォルトままの呼び出し音が部屋の中に鳴り響く。暫くしてベッドの中から伸びてきた手が机の上で騒ぎ立てていた携帯電話を取り上げた。 「はいもしもし、火狩……あ、おやっさんですか……」 私服のまま上半身だけ起こした火狩怜は半分寝ぼけた声で電話に応対している。今だけ見ればだらしのない格好であるが、後で本人が語った所によると「体は半死半生、精神的には5回死んだ」という松土の実験につきあわされ、帰りつくなり倒れ込んでしまっていたのであるから、多少同情の余地はあるだろう。 時計を見る気もなく、また、見ても仕方がないと思っているのか、ぼんやりと窓に視線を向けていた怜の表情がいきなり覚醒した。 「綾瀬が?」 『ああ。自分一人ならともかく、と言うことだろう……響君が護衛のウィザードを集めたい、という事らしくてね。まず君に連絡しようと思ったのだが』 「……感謝します」 受ける受けないは話題の外である。実際、怜は響に聞かなければならない事があったので断る気はない。しかもユニオン経由でと言う事は、響の方もそろそろ切羽詰まってきたと見るのが自然だろう。事態が急を要しているならなおの事聞かねばならない事があるのだ。 「時間と場所は?」 『場所はここ、時間は……早い方がいいのではないかな』 「わかりました。すぐに行きます」 幸か不幸か着替える必要がない。電話を切るのと洗面所に駆け込むのをほとんど同時に実行し、ありあわせのパンにハムをはさんでかじりながら車の鍵を探す。どれだけ忙しくても飼い猫である白いノワールに餌と水を用意する事は忘れないのは個性の問題か性格の問題か。 「オヤジの手にすら余る情報……ちょっとしゃれにならねぇぞ、綾瀬」 憮然とした表情で行儀悪く紙パックに直接口をつけて牛乳を飲み、のこりを別の皿に入れて床の上に置く。パンのかけらにバターだけ塗って咥えながら髪をとかし、八割ほど終わった時点で上着を羽織る。安いアパートであれば階下や隣室にはなはだしく迷惑になりそうなぐらいばたばたと走り回る様子は、寝坊して遅刻を恐れる学生のように見えなくもない。が、表情はそれより数倍真剣で深刻である。 「綾瀬の奴、何をどこまで知っていて一体何がどうなっているんだか」 いってきます、のかわりにそういい残し、怜は部屋を飛び出した。 時間は少しさかのぼり、当日午前5:30。京都駅に止まっている新幹線の車内で御門志信はコンビニ弁当とペットボトルの朝食を終え、あくびをしながら窓の外を眺めていた。 本来、このような早起きは志信の趣味ではない。むしろタバコをすうわ酒は飲むはの問題学生である。が、普段の行いがどうであれ、昨夜のうちに横須賀に戻れなかったのであるから仕方がない。やむなく朝一番と言う普通の学生ならまだ夢の中の時間に電車に乗り込むはめに陥っているのである。 「ま、しょうがないか」 そう呟きながら志信は昨日の事を思い出していた。 ……昼間でも暗い部屋であるが、夕闇が降りた時間ではほとんど真っ暗と言っても過言ではない。その暗い部屋の中に数本の蝋燭が立ち並び、荘厳とも沈鬱ともいえる雰囲気をかもし出している。 『御門志信、御前に』 最近落ち着きつつあるとはいえ、いまだにエキセントリックな言動と態度をしばしば見せる志信であるが、当主じきじきのお呼び出しとあってはさすがに礼儀正しくならざるを得ない。恭しく頭を下げてお言葉を待つ。ちなみに、御門家当主・皇星は現在10歳である。 『横須賀地区担当のエージェントである貴君に頼みがある』 もっとも、能力も判断力も大人顔負け……というよりはっきり言って大人が敵わない実力の持ち主である。声が子供っぽいのは如何ともしがたいが、ある種の圧迫感は下手なエミュレイターなぞ足元にも及ばない。 『何事がおきましたのでしょうか?』 『日米の国際問題になりかねない情報を持ったウィザードが、御門家にとっての敵対勢力に狙われている』 おやおや、それはそれは、と内心で志信は肩をすくめた。揉め事やトラブルも嫌いではないが、手に余る、余らないと言う区別をつけないと痛い目を見るのは仕方ないな、と他人事のような感想をめぐらせていた志信の耳に、次の言葉の姿を借りた爆弾が飛び込んできた。 『そのウィザードの名前は“綾瀬 響”。聞き覚えがあると思う』 志信が唖然とした表情を浮かべてしまったのはこの際やむをえない。ここで突然旧知の名前を聞くとは思わなかったのである。 呆然としている志信の顔がおかしかったのだろうか。皇星はかすかに笑いをこらえている声で、しかし重要な指示を下した。 『逢守神社のエージェントと協力して、万難を排しても情報を回収せよ。最悪の場合、戦闘行為も許可する』 「……つまり、戦闘になる可能性が五割はあるってことだな」 そう回想を打ち切って志信は大あくびをした。京都から横須賀までなら一眠りに十分な時間が取れる。座りなおした志信は次の瞬間、軽い寝息を立て始めた。 朝が早かったためか、彼独自の体質のためか、それは分からない。 ぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱく……とリズミカルな音がエンドレスで続く。こうなると芸の、それも達人の域に達しているかもしれない。マジカルラビット☆アンネリーゼこと柊迫杏音の食べっぷりを見ながらリカルド=S=コールソンとジョナサン=サワダは期せずして同じような感想を抱いていた。 「それにしても、すごいな……」 「まあまあ、食べる子は育つと言うことで♪」 思わずと言った感じで独り言を口にしたジョナサンに、なだめるでもなく普段どおりの口調で回答して、リカルドはアイスコーヒーを口に運んだ。11月になってもアイスコーヒーと言うのもどうかと思うが、杏音が注文したビッグパフェを食べ終わるまですることがなくなったので頼んだと言うのが正確なのである。したがって、リカルドからすればアイスでもホットでもかまわないのである……さすがに中学生を前に昼間からお酒を飲む気にはならなかったようだ。 一方のジョナサンと言えば、やや不安そうな表情で杏音を眺めやった後、さすがに小声でマスターでもある常田に声をかけた。 「おやっさんの人を見る目は信用していますが……大丈夫ですか? あのGirlは」 「ああ、まあ、不安は分からなくもないが……心配ない。華恋君も実力に太鼓判を押している」 これは事実でありまた真実でもある。もっとも「精神的に余裕のある人と一緒に行動させてあげてください」という苦笑交じりに微妙な一言がついたのではあるが。 「俺はあの薬のほうがちょっと不安ですがね〜」 これはいかにも医者らしいリカルドの危惧である。もっとも、中学生が自分で用意した薬と言うのでは普通の大人なら不安に思うだろう。こればかりは常田も頭が痛いところである。 が、当の本人はと言うと我関せずと言った風情でパフェを食べ終わりオレンジジュースをおいしそうに飲み干していた。こういう様子は中学生と言うよりは小学生に見えなくもないが、あまり病弱にも見えない。 「……ひょっとして、あのmedicineが悪いんじゃないですか? 先生」 「う〜ん……考えられなくもねーな〜」 リカルドですら思わず考え込んでしまうのはむべなるかなであったろう。どうにも周囲の不安と危惧を呼んでしまう少女である。 と、そこに無用の緊張を吹きはらうような声が店内に流れた。 「ためしに作ってみたアップルパイなのですけれど、お食べになりますか?」 「わ〜い、いただきま〜す♪」 「……やれやれ」 誰がそう口にしたのかは定かではない。やよいの作ったアップルパイを口に運び始めた杏音を見やって、男どもが苦笑交じりに肩をすくめた。 全てを聞き終えた微の顔色は蒼白になっていた。もっとも、それは仕方のないところではあったろう。隠されていた事実というより、隠しておかないと危険な真実、である。下手に知ってしまえばそれだけで命を狙われかねない。ややかすれた声で微は確認するように問いかけた。 「この情報が、漏れている、と……?」 慎は答えるかわりに黙って頷いた。微と違って感情は微塵も乱れていない。その表情を見て、微は再確認せざるを得なかった。 この義父も、元楠ヶ浦学園の学生で、16年前の横須賀で戦い抜いた一人なのだ、と言うことを。 「最優先は御門家のエージェントの護衛だが、状況がどう動くかはわからん。臨機に対応せよ。人手が必要ならば予算も出す」 「……かしこまりました」 微は両手をついて頭を下げた。今日これから、となるとさすがに声をかけられる人間は限られている。しかも、この“真実”を口にするわけにもいかないのだ。二重三重に重い任務であるが、否定したり拒否すると言う選択肢は微にはなかった。 「それでは、失礼いたします」 微はそう言って慎の前を退いた。慎は黙って頷いただけである。 そして、それからしばらくの間、慎もまたそこに座って身じろぎもしなかった。 駅で御門志信と合流した上でMonAmiに向かった組、急ぎ車を走らせる怜、すでにMonAmiで時を待つ人々。 彼らが全て店内に集まって、渦中の人が店内に入ってくるまでは、さらに15分の時間を必要とした。 |
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